ネコと読む 手塚治虫「シャミー1000」

目次

  • あらすじ
  • シャミーとネコ
  • ネコは愛を知っているか
  • 愛を学ぶシャミー
  • まとめ

あらすじ 

金に困っている高校生の三味、四村、六角の三人は山奥のヒッピーがたむろする小屋へと車を走らせる。そこには五条という男がおり彼から金を借りる算段であった。しかしそこに小屋はなく五条もおらず、四村たちはシャミーという擬人化したネコの姿をした宇宙人たちに捕らえられてしまう。          文明や生活も高度に合理化されたシャミーたちは合理化によって失われた心の中の「何か」を探し求めており、その何か=愛を得るために人間の研究をしていた。四村たちを軟禁するシャミー1000という個体は四村をサンプルに愛を学ぶため彼と過ごすようになる。シャミー1000は四村との生活の中で自身に宿り始めた「心」に動揺を抱きつつもやがて四村への愛に目覚めてしまい四村をシャミーたちから守ろうとする。

シャミーとネコ

シャミーはネコに似た二足歩行する生き物で元は人間にペットとして飼われていたが、人間がシャミーをより人に近づけて擬人化したことでシャミーは力を持ち、ネコ特有の尊大さや支配欲のためにかえって人間を家畜化し支配するようになってしまう。ネコが擬人化した存在であるシャミー1000が高校生の男の子四村へ恋をするという構図はネコと人間の恋愛を描いている。また、作中で登場するシャミーたちは乳房のふくらみや細い腰つき、長いまつげから女性のような姿をしていて男性的なシャミーは見られない。このことから、この作品において手塚治虫はネコという生き物に女性に見られがちな特徴を重ねて描いている。

ネコは愛を知っているか

シャミー1000はネコでありながら女性である。作中でシャミーは四村に人間の「原始的な」食事を振舞われ自分たちの食していた管理された食事に味もそっけもなかったことを思い知らされる。突然地震が起こりとても怯えてしまったシャミー1000は四村に自分を抱いているように命令をする。慣れないものを食べた彼女は腹痛を起こしてしまうが四村に病気を治してもらい、疲れて横たわる彼へお礼のマッサージを施して彼に心を開いていく。その後、偶然訪れた四村のガールフレンドが彼に接吻をした時、シャミー1000は嫉妬を覚えてガールフレンドに襲い掛かってしまう。   

シャミー1000を自宅へ迎え入れる四村の振る舞いや彼との生活に馴染んでいくシャミー1000の姿は、野良ネコを拾って来た男の子の物語を思わせる。警戒をしながら恐る恐るスープを口にするが、味が良いと分かるとがつがつと食事を始めてしまう。徐々に人間に慣れていきながらも、シャミー1000は尊大に振舞い四村への命令口調を崩さない。

ネコにリードが似合わないように、私たちはネコを支配することはできない。ネコは一見尊大に振舞いながらその実とても愛情深い。例えば飼い主の心身の不調を察し、ベッドで横になる飼い主に寄り添うように眠ることもある。彼女らの愛情表現は非常に豊かで、目を合わせてまぶたをゆっくり瞬いたり尻尾を真っすぐ垂直に立てることで親愛の情を示す。また彼女らは自分たちが愛される存在であることを自負しているのか、自分がないがしろにされると大きくストレスを抱え、壁に顔を近づけて座り不快を表現し、ツーンとそっぽを向いてしまう。そうなったならば何度も名前を読んだりおやつを差し出してせいいっぱい誠意を示さなくては機嫌は直してもらえない。彼らと良好に暮らしていくためには真摯な愛情が必須である。そう、ネコのまとう愛情とはどこか恋愛的なのである。

愛を学ぶシャミー

シャミーは四村への愛を自覚し、自分が四村のガールフレンドのように地球人の女性のような姿ではないことに深く落胆する。彼女が愛を学んだ時、愛とは残酷で悲しいものだということを知る。それでもシャミー1000は四村を愛し、ほかのシャミーたちの手から逃がそうとする。

四村への愛へ目覚めたシャミー1000が他のシャミーたちと対峙するシーンは、女性同士の熾烈な恋愛競争を思わせる。実際シャミーたちの愛の争奪戦に、三味が「こいつらヤイてるンだよ ジェラシーだよ」と茶々を入れる。三味は一連の騒動の中で家畜化された地球人の女の子と恋仲になるのだが、すでに愛を手に入れた彼はある種この愛の顛末の傍観者である。シャミーたちが命をかけて愛を研究している姿を男の目線から滑稽だと揶揄しているのだ。

ではなぜシャミーがただの人を模した異星人ではなくネコの姿で描かれたのか。愛を忘れ、その愛を再び取り戻そうとする生き物として、なぜネコが選ばれたのか。

シャミーたちの姿はネコのように四足歩行をすることもあれば人間のように二本足で歩き回るうこともある。ネコのしなやかな肢体の曲線は女性的であることは古くから言われてきたことである。 

思うに、多くの女性は愛の求道者である。いかにすれば愛されるかについて女性は男性よりもずっと深く考え、実践をしている。多くの女性が愛について問われれば、実体験をもとに一家言を披露するだろう。シャミーは心を一度失っている。その心の穴を埋め合わせるために愛を「研究」しその研究に命をささげ、何としてでも愛を手に入れようとする。その彼女たちの姿は、恋愛的な愛情を身にまとうネコと重なるのである。

まとめ

もし我々がネコと恋仲になるとしたらその顛末はシャミー1000の悲恋がとても参考になるだろう。そしてネコたちとの交際に付きまとう悩みは、多くの男性が抱えている彼女の喜ばせ方と実に似かよったものなのかもしれない。

  • SHIRO

    仏具屋葬儀屋など葬祭業界経験者。執筆を仕事にするため模索中。

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